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クオリアを留意してライター業務に当たる

小学生の低学年の時、理科の授業だったと思うのですが「同じものを見ても人それぞれに見え方が違う」といった趣旨のことを先生が話し、子どもながらにショックを受けました。それが「クオリア」だと知ったのは数年前のことで、心の仕組みを研究しそれをコンピュータ化しようとしている方を取材記事にする過程でのことでした。

クオリアを広辞苑で調べると「感覚的体験に伴う独特で鮮明な質感のこと。感覚質」とあります。イチゴが赤いと思う感覚、甘い香りを嗅いでいるときの感覚、甘酸っぱい味がする感覚など五感は元より、懐かしいと思うときに抱く感覚や赤ちゃんを見たときに愛おしくなる感覚、憂鬱なときに抱く感覚などクオリアで、言葉で説明するのはとても難しいもののはっきりとイメージができると思います。また肉体的な痛みや気持ち良さの感覚もクオリアで、これらの感じ方は人それぞれに異なると考えられています。

生まれ育った環境や経験が違うと、人それぞれ物事や事象に対する認識が違うのは想像できますが、感覚は万人共通だと考えがちです。例えば懐かしい感覚の場合、何に対してそう感じるかは人それぞれ異なりますが、懐かしい感覚はみんな同じ、多くの人はそう思っているのではないでしょうか。

人それぞれ感覚が違っても意思疎通は成立する

私たちは常に、無意識的に相手の心境を想像しながら相手とコミュニケーションをしています。話が盛り上がっているときは、相手も自分と同じような心境で同じような感覚を味わっていると考えます。「互いに分かり合えた」と安堵感や充実感、連帯感を抱いた経験は誰でもあるでしょう。しかしその感覚が人それぞれに異なり、自分の感覚は自分特有のものと言われたら「共感」という概念は架空のものとなり、空しい気持ちにさえなります。

イチゴの赤さや甘い香りや甘酸っぱさ、こうして言葉として表現でき他者と分かち合うことはできますが、あなたが抱く感覚と他の人が抱く感覚は一致しないのです。あなたが赤色に見えるイチゴは、ある人にはあなたが青に見える色に見えているといった具合です。その人はイチゴも赤信号も紅ショウガも、あなたが赤色に見えるものすべてが青色に見えていて、それらを赤色として認識しているので、あなたとのコミュニケーションはなんら問題なく成立します。

フィクションの世界なら、自分の心(意識)が他者と入れ替わり、他者の体に入って外の世界を見たら、まったく違う見え方をしたり、同じ体験でもまったく違う感覚で物事を味わったりしたりすることで、クオリアの違いを実感できるかも知れません。

そうは言いつつも現代の科学技術をもってもこの感覚の質であるクオリアを客観的に数値化することはおろか、その正体を突き止めることはできておらず、将来的に突き止める目途も立っていないのが現状で、クオリアの存在自体を否定する専門家もいます。

自分のクオリアさえ表現することはできない

クオリアという概念を知らなくても日々の生活になんの支障も不都合もありませんし、この概念を知ったからといって収入が増えるわけでもありません。ただクオリアを留意すればするほど、自分の物事の認識や人を見る目を否定せざるを得なくなります。

以下は私の妄想です。
クオリアは認識の最深部にある根本で、人それぞれに感じ方は違うが、あまりも複雑かつ繊細すぎて言葉では表現できない。私たちホモ・サピエンスは思考することすべて言葉化でき他者と分かち合えるがゆえに高度な文明を築いたと言われています。しかし言葉化できるのは思考の極一部で、言葉化できる範囲で思考しているのではないかと思うことさえあります。

例えば、「相思相愛だった異性に裏切られた」「気の合う友人が離れていった」「信頼されていた得意先からの発注が無くなった」こんなことはよくある、よく聞く話です。こういう場合、どちらかが鈍感だった、どちらかが気まぐれだったなどと落とし込みがちです。クオリアのレベルで相性が悪かったが、言葉のやり取りレベル(認識レベル)ではお互いにいい関係を築けていると認識していた。そう考えるのはどうでしょうか。

「あの女性(男性)いいな」「とてもいい人そう」「生理的に受け付けない」などと感じたときって、その理由を言葉にするのはとても難しくありませんか? 理由を言葉にできたとしてもそれは後付けで、自分でもまったくしっくりこない。これらの感覚であるクオリアは、自分にあるクオリアの存在を感じられても、そのクオリアを言葉で表現できません。表現できないとは思考を超えるほどの複雑さ、曖昧さなのです。

クオリアを意識したライティング

人の感覚は万人共通の普遍的なものではなく、人それぞれが自身特有の感覚を持ち合わせていて、自分と他者では物事がまったく違う見え方、まったく違う感じ方をしている。かと言ってそれを確認する術はなく、結局は自分の認識や勘に頼るほかない。否定の否定、原点回帰ですが、自分の感覚や認識を無条件に受け入れるのとは違い、自分の感覚や認識を一度否定することで、視野は格段に広がります。

人は思っているより遥かに複雑で、相手の心境を正確に把握することなどできない。自分の考えに凝り固まることは、社会生活をするうえでマイナスでしかありません。一つの考えに固執して、その考えからなかなか抜け出せないライターさんをたまに目にします。相当自分に自信があるのだろうと思いますが、裏返せば視野の狭さの証です。

ライターの仕事の目的は、執筆業務を通じて依頼者の要望を満たすこと。依頼者の喜びのクオリアの質量を増大させることです。相手のクオリアを知る術はありませんが、依頼者の要望を満たすには一つの考えに固執することなく、いろいろな視点を持って試行錯誤しながら最後は自分の認識と勘に委ねる。そんな姿勢がライター業務のみならず、私たちの日々の生活の質を向上させてくれます。これが私の「固定観念」と言われれば、それまでですが。

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