希望の満州、失望のシベリア抑留を経験した祖父に思いを馳せて
先日テレビを点けると、満蒙開拓団の集団自決に関する番組が放送されていて思わず見入りました。私の祖父も20代前半で単身満州に渡り、その後結婚のため一時帰国し、妻(祖母)を連れて再び満州に渡って父はそこで誕生しました。そんな事情もあって満州での生活と終戦後にソ連軍に捕えられシベリアに抑留された話を祖父からよく聞いていたので、満州と聞くとつい前のめりになります。
満州(現在の中国東北部)は、清朝末期の動乱、義和団の乱(1900年)に乗じてロシアが軍事占領。1904年の日露戦争の勝利により日本(大日本帝国)が南満州に属する鉄道・鉱山開発をはじめとする権益を手に入れ、国力の多くをこの地に注ぎ込んでいきました。1931年の関東軍による自作自演の柳条湖事件を機に満州全域を占領し、翌1932年には清朝最後の皇帝であった愛新覚羅溥儀(あいしんかぐらふぎ)を元首とした傀儡国家「満州国」を建国し、日本の支配下に置きます。
大和民族・満州民族・漢民族・モンゴル民族・朝鮮民族の五族協和による「王道楽土建設のために大陸へ」そんなスローガンのもと、内地(日本)から多くの国民が希望に胸を膨らませ海を渡りました。
祖父はすでに満州に渡っていた親戚をたより移住しました。物資を調達し軍に提供する商社(一郡商会)に就職し、現地の農家や加工場と取引をするため(満州)国中を飛び回っていたようです。会社には満州人の社員も多くいて、民族を越えた友情を育んでいたことが祖父の回顧録から伺い知れます。
終戦間際になって祖父は現地で軍に召集され、その後に一時帰宅が許されます。しかし妻子は避難のためすでに家を引き払っていました。親しくしていた近所の満州人たちから「日本は敗戦する。北村さんは私たちが守るから部隊に戻るな」そんなやり取りが回顧録にあります。妻子や内地の家族親戚に悪影響がおよぶと危惧した祖父は、彼らの友情に感謝しつつ部隊に戻り、終戦直前に日ソ中立条約を破棄して侵攻してきたソ連軍に捕えられ、2年弱におよぶシベリア抑留を強いられます。
冒頭に記した「満蒙開拓団の集団自決」とは、同じ満州への移民でも事情がだいぶ違います。昭和恐慌下の農村更生策の一つとして遂行された国策で、農村単位で満州に移住を促し、村民を移住させた村には国から補助金が与えられました。移民に用意された田畑は、現地の人々から日本政府が強制的に買い上げたり奪い取ったりしたもので深刻な怨恨の構造を作り上げていました。終戦と同時に、田畑や住まいを奪われた現地の人々が武器を持って村を襲撃し、移民たちが集団自決する、そんな悲劇がいくつも起こりました。

わが国の核武装と国防放棄は非現実
近年、右派と左派の思想が両極端になりつつあります。右派は先の戦争(日中戦争および大東亜戦争⦅太平洋戦争⦆)は、欧米列強からアジアの植民地を開放するための聖戦だったと言い、左派は領土を拡大するための侵略だったと言い平行線をたどるばかり。武力に対する考えもさまざまで、右派の中には憲法9条を改正し核武装を唱える人がいるかと思えば、左派の中には戦争はおろか自衛隊をも否定する人もいます。正直この両極端な意見に対しては、無知による感情論的発想と言わざるを得ません。
わが国が核武装をしようとする場合、まず核不拡散条約(NPT)からの脱退とアメリカとの安全保障体制を大幅に見直さなければならず、世界から孤立し経済制裁されることは必至です。さらに現状の防衛費とは比較にならない莫大なコストがかかるなど、核武装するための障壁はあまりにも大きく現実的ではありません。自衛隊の解体も同様に、現在の東アジア情勢、地政学的に日本列島を見ると国防を無視する発想は、クマが多く生息する山に丸腰で単独登山する、あるいは自動車免許と自動車保険なしに海外でハンドルを握るような、後先を顧みない無謀な行為です。私個人としては、先の戦争と国防とは分けて考える必要があると思います。
戦争はもちろんしないに越したことはありません。しかし歴史的に見て無くなる類のものではなく、そのつもりがなくとも巻き込まれる恐れのある事故や病気のようなもので、ならないよう、なったとしても痛手を最小限に食い止めるための予防や対策が欠かせません。その役割を果たすのが国防の概念です。第二次世界大戦の敗戦国であるドイツもイタリアも軍隊を保持しています。厳密には自衛隊も軍隊で、2025年の国別国防費ランキングで日本は世界10位と上位に位置しています。にも関わらず、日本国民が国防に対して否定的になるのは、天皇を神格化し神国の御旗のもと「一億玉砕」のムードを醸成した、明治政府以来の国策による、先の戦争に対する向き合い方だったと考えます。
国防拒否の発想は、天皇神格化ナラティブの副産物
時代は先の戦争より約80年さかのぼり明治維新に移します。江戸幕府を倒した薩摩・長州藩の幹部らを中心とした新政府誕生から先の終戦までの大まかな国家形成・国防の流れを以下に示します。
・新政府(明治政府)の伊藤博文らが天皇を神格化し、国民の結束力を図る
・この試みが功を奏する
・発案者や上層部は、天皇の神格化はナラティブ(恣意的に作られた物語)であることを理解しているが、多くの国民はこのナラティブの内容を心底信じる
・このナラティブを政治利用していく
・新政府(大日本帝国)は欧米列強の脅威を感じ、軍需力を強化し領土を広げ、戦争を重ねていく
・大日本帝国は五大国の一つになったものの欧米列強の脅威は否めず、大陸や南方を目指す
・そのことが欧米列強の反感を買い、ABCD包囲網で燃料を止められる
・欧米列強からアジアの諸国を開放する大東亜共栄圏構想というナラティブを謳い、国民を熱狂させ対英米戦争の機運を高める
・神国日本の御旗のもと全国民を戦争に熱狂させ、玉砕を賛美する風潮を作る
・国民は天皇のナラティブを信じつつ終戦。天皇の人間宣言により、国民のナラティブが解かれる
強国が弱国を植民地支配していくことがスタンダードだった時代、静観は支配されることを意味し、弱国への侵攻や戦争は不可避で、当時のわが国の大陸進出や戦争は国防の観念によるものであったことは理解できます。多くの専門家や書籍が指摘するように、旧日本軍は侵攻した大陸や東南アジアで現地の人たちに対して残虐な行為を繰り返したことは周知の事実で、戦争とはそういう側面を持ちます。
先の戦争で最も注視しなければならないのは、天皇神格化のナラティブにより民族としての優越性を国民心理に植え付け、戦争に高揚させ玉砕賛美の醸成によって国民の心をがんじがらめにし思考と行動を抑圧したところです。これが多くの国民が戦争と国防という言葉に拒否反応を示す最大の原因だと考えます。
「万世一系」「男系男子」こそ「一億玉砕」の象徴
先の皇室典範の改正で、男系男子の血筋を守るため旧宮家の15歳以上の男子を皇族の養子に迎え、その養子が結婚し男子を授かった場合、その男子が皇位継承権を有することが可決されました。事実上愛子さまの皇位継承が閉ざされ、高市政権が国民の批判の的になりました。仮に悠仁親王が結婚して男子を授からなかった場合、この制度が適用されることになります。そうなると国民に親しまれている上皇ご夫妻、今上天皇ご夫妻のファミリーとは違う一族が皇位を継承することになり、国民の天皇家への親しみが離れることは必至です。
高市政権をはじめ政権寄りの知識人は万世一系を謳い、男系男子にこだわります。実はこれも天皇神格化のナラティブの一環で、明治政府以前に男系男子という厳格な決まりは存在せず、天皇の権威づけのために明治政府が政治利用したのが始まりです。ついでに話すと、神武天皇の紀元前660年即位は、60年周期の干支の中で辛酉年に大きな革命が起こるとされる中国の史書にもとづき、『日本書紀』の編纂者が、推古天皇9年(601年)の辛酉年から1260年前の辛酉年を逆算したと考える説が支配的です。
明治政府が謳う神武以来の万世一系は『日本書紀』を根拠にしていますが、『日本書紀』は壬申の乱で勝利した天武天皇の正統性を示すため681年から編纂が始まったものです。それ以前の人物や血統が恣意的に操作されたり創造されている可能性は高く、明治政府はそうと知りながら国民結束のナラティブとして政治利用しました。紀元前660年以来の「万世一系」「男系男子」を国民の脳裏に焼き付け天皇の神格化が図られたことにより、国民が結束して軍国化の道を歩み、大東亜戦争では「一億玉砕」の破滅的なエンディングが国民に強要されました。
この歴史的事実を知ると、令和の現在に「万世一系」を謳い「男系男子」にこだわり皇室典範を改正したことの不気味さがご理解いただけると思います。
毎日新聞を愛読し、自民党の党員だった祖父
祖父は私が成人になる前に他界したので、当時の国内の情勢や満州に渡った動機など、今の私なら絶対に聞きたいことが聞けていません。生前祖父はシベリア抑留の過酷な体験から「絶対に戦争はしてはならない」とよく口ずさんでいたので平和主義者だと思っていました。大人になって戦前戦中の知識が増えていくにつれ、祖父も当時の国民と同様に天皇を神格化し、五族協和による王道楽土建設のためにと本気で思い、人生をかけて満州に渡ったのだろうと想像します。自国の政府や軍が満州の農村や東南アジアで略奪や虐殺行為を繰り返していたとは引き上げる(戦後帰国する)まで夢にも思っていなかったでしょう(そうあってほしいと切に願います)。
神武天皇の存在を私が初めて知り、祖父にたずねた際、「神武天皇は神話の人物で、存在しない」と否定的に言ったことを子どもながらによく覚えています。祖父は、左派論調の毎日新聞を愛読し隅から隅まで目を通していました。自民党の党員でもあり、旧制中学の先輩で法務大臣や文部大臣を歴任し,、タカ派で知られた自民党の奥野誠亮を熱心に支援していました。左派の新聞と右派議員の支援、一見矛盾しますが、シベリア抑留を生き抜いた実務的な現実主義者として一方に偏らない柔軟な側面も持ち合わせていたのでしょう。
満州で軍に召集された後、親交のあった近所の満州人が「北村さんにお世話になったから」と妻子(祖母と父)に畑で採れた野菜を毎日届けてくれていたことに対し「中国人は情が深く、やさしい」と回顧録に記されています。今思うと祖父が田中角栄を慕っていたのは、日中国交正常化を成立させた首相だったからかもしれません。
「和」という言葉が座右の銘と話していたことから、祖父はやはり平和主義者なのだと思います。今の自民党政権に対して、党員だった祖父なら何と言うでしょう?
「台湾有事発言を撤回し、自ら歩み寄りなさい」と言うに違いありません。
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