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ライターとして「オールドメディア」という言葉の違和感

2024年11月に投開票が行われた兵庫県知事選。その告示日を前にして、パワハラおよびおねだり、公益通報者つぶし疑惑の一連の問題で失職した前知事(当時)斎藤元彦氏に突如追い風が吹きました。メディアの報道とは真っ向から対立する意見をSNSやYouTubeのインフルエンサーらが申し合わせをしたかのように発信し出したのです。「斎藤さんはハメられた」「斎藤さんは悪くない。悪いのは県議会と公益通報した元県職員」「公益通報ではなく怪文書」とメディアの報道に反論する主張でした。

インフルエンサーらは、メディアと反斎藤派が仕組んだ陰謀だと唱え、「メディアは終わった」「地に落ちた過去の存在」と揶揄する意味を込めて「オールドメディア」と呼ぶようになりました。SNSやYouTubeのネットにこそ真実があると喧伝すると、多くのネットユーザーがそれに同調。斎藤氏再選の大きな要因になったことは周知の事実です。

私は一人のライターとして、そして一人の日本国民として「オールドメディア」というその概念とはズレた認識の表現に大きな違和感を覚えます。にも関わらず市民権を得るまでの“流行語”になったことに国民の国語力の低下を嘆かざるを得ません。ここでの国語力とは、難解な論文や小説を読み解く力ではなく、物事の善悪や真偽を見極める常識的な感性、違和感を素通りしない基本的な理解力。現代風に言えば、「リテラシー」です。

メディアとインフルエンサーの関係は、映画と映画評論家の関係と同じ

オールドメディアと表現する以上、「ニューメディア」に当たるものがあるはず。(オールドメディアに対して)ニューメディアという表現は(オールドメディアのように)一般的に使われてはいませんが、これまでの経緯を踏まえるとニューメディアに当たるものがSNSやYouTubeのインフルエンサーであることは明白です。そこには「メディアの報道は虚偽ばかりで信頼できないが、SNSやYouTubeのインフルエンサーは真実を語るので信頼できる」という意味が込められています。実際インフルエンサーが同様のことを異口同音に発言するのを私は何度も見聞きしました。

さらに掘り下げると、馬や馬車という移動手段が自動車に代わったように、テレビ局・新聞社・通信社・雑誌編集部(出版社)の報道機関からSNSやYouTubeの報道系インフルエンサーが取って代わり報道活動をする。という意味合いが「オールドメディア」という言葉表現には示唆されています。これは私の偏見やこじつけではなく、これまでの経緯やインフルエンサーの発言の文脈を踏まえれば、そう理解するのが自然です。

「SNSやYouTubeのインフルエンサーが次世代の報道機関になり得るのか」。言うまでもなく務まるはずがありません。メディアは巨大な情報ネットワークやデータベースを有し、報道記者の教育システムが確立された、文字通り報道のプロフェッショナル組織です。

それに対してインフルエンサーは、メディア報道に対して「〇〇は虚偽報道」「メディアは〇〇を報じない」とあれこれいちゃもんを付けることで視聴者を獲得し収入を得る人気商売ですが、言い換えるとメディアの一視聴者一読者に過ぎません。フリージャーナリストや政治評論家の肩書を持つインフルエンサー気取りの人たちもメディアの報道があって初めて商売が成り立ちます。映画評論家という職業が映画無くして成り立たないように、メディア無くしての報道系インフルエンサーは成り立ちません。

メディアは国民の財産。生かすも殺すも国民次第

ヨーロッパで活版印刷が発明され、その技術が日本に伝わり、1870年に我が国初の新聞「横浜毎日新聞」が創刊され、マスメディアの礎が築かれました。その後、ラジオ放送、テレビ放送が開始されマスメディアは国民にとって空気のような存在になりました。そしてインターネットが普及すると、報道各社がネットを活用し情報発信をするようになります。

新聞(文字)、ラジオ(音声)、テレビ(映像)、ネット(文字と映像)と国民に伝える媒体や手段は多様化しましたが、消滅した媒体はありませんし、支配する民族や政権が入れ代わるように、報道機関が根本的に異質な勢力に取って代われた歴史はありません。そもそもこの発想自体がナンセンスです。

メディアは私たち国民、人類にとって必要不可欠です。メディアがないと私たちは社会の動き、出来事を知ることができません。それに加え、メディアは権力の監視機関でもあります。冒頭で触れた斎藤元彦兵庫県知事(現職)を未だにメディアが厳しく追及するのは、彼が権力者で、不当に権力を行使したと考えられるからです。メディアが無ければ、権力者はやりたい放題で、私たちはそれを知る由もありません。

そうは言うもののメディアには課題もあります。メディアは巨大な広告媒体で、多くのメディアは広告収入で成り立っており、広告掲載の価値を上げるために視聴率や販売部数拡大に注力します。結果、事実より過激な内容になったり、国民のニーズを意識するあまり事実とはかけ離れた内容になったりすることも否めません。また大口の広告主である企業が不祥事を起こした際、追及が甘いと指摘されることもあります。

メディアが権力の監視機関であるなら、そのメディアが正常に健全に機能するよう私たち国民がメディアの監視をする必要があります。メディアは私たち国民の財産で、SNSやYouTubeのインフルエンサーが扇動するように国民自らがメディアの存在や価値を潰してしまうのは、まさに自殺行為と言えます。

「オールドメディア」と表現することに私は大きな違和感を覚えますが、メディアがより健全になるための教訓として「オールドメディア」という表現が国中に広がることは、この国にとって改めてメディアの在り方を問い直す絶好の機会だと思います。

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